
【第16回】 想いを馳せる
こんばんは。ヨシダです。
更新が遅くなってしまってごめんなさい。
今回は僕の音楽の作り方の話です。
音楽の作り方と一口に言っても、順序は人によって様々(詞、歌、演奏etc...)です。
僕はどの段階であっても、イラストや景色、活字(小説等)からインスピレーションを受けて音楽を制作することが多いです。というかほとんど。
聴覚ではなく視覚情報から楽曲を作るというのは、なかなか行程が結び付きづらいような気がしますが、なんとなくその仕組みのようなものを紐解いていくと、「想いを馳せる」という行為に自分の創作の源があるように感じます。
心を動かされる絵画に出会ったとき、描かれている人や物のストーリー、作者の心情や生い立ち、性格や容姿や食生活はどうだったのか。
大好きな場所で遠くを見ているとき、あの家は何年前にどんな人が何を思って建てたのか、いま自分が感じている木々や土の匂いは、風下に流れてどこで途絶えるのか。
目まぐるしく展開する物語の佳境、非業の死を遂げたあの登場人物が、もし走馬灯を見ていたならその内容やいかに。
そんな知る由もないことに長いあいだ想いを馳せていると、やがてそれがあたかも自分の中での真実であるかの如く、架空の記憶が脳に刷り込まれていきます。
そんな時になんとなーく音色が浮かび上がってくるのです。旋律ではなく音色。
キラキラと輝くような、輪郭がぼやけてくぐもっているような、或いはいずれとも違う未知のものなのか。その時に刺激を受けているものによって様々です。
そのイメージを部屋に持ち帰って、メロディや歌詞、演奏を(再び)作り始めます。
たびたび、僕の音楽を聴いてくれた方に「風景が見える」「映画のよう」と評していただくことがあります。
それは僕にとって大変嬉しいことであり、驕り高ぶっているように聞こえるかもしれませんが、この作り方で積み重ねてきた音楽だからこそいただける評価だろうなとも思います。
僕は、経験したことや見ているものを「自分で作ること」に生きる意味を見出しています。
たまたま選んだ表現方法がこれだったというだけかもしれません。
それにしては何か音楽に対する妄執めいたものも感じますが。
たとえ形を変えたとしても、命尽きるまで創作に明け暮れていたいなと。
高熱に魘されながら想うのでした。
よしだ